御霊の賜物が幾つあるかご存知ですか?御霊の賜物が9つあるとよく言われるのは、第一コリント人への手紙12章だけに限定して見た場合です。
第一コリント 12:27-28「あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です。神は教会の中に、第一に使徒たち、第二に預言者たち、第三に教師たち、そして力あるわざ、そして癒やしの賜物、援助、管理、種々の異言を備えてくださいました。」
同じ第一コリント人への手紙12章でも、パウロはここで「9つの賜物」以外の役割、すなわち、使徒、預言者、教師を例に挙げています。これらはエペソの4章にも出てきますが、28節にある「援助」と「管理」とは具体的にどのような働きなのでしょうか?
ローマ 12: 4-8「一つのからだには多くの器官があり、しかも、すべての器官が同じ働きをしてはいないように、大勢いる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、一人ひとりは互いに器官なのです。私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、それが預言であれば、その信仰に応じて預言し、奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教え、勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい。」
これは、第一コリント人への手紙12章でパウロが言っている内容と同じです。この個所でも「一人ひとりは互いに器官」としてお互いが助け合うようにパウロは教えています。役割は人それぞれ違っていて、預言をする事、奉仕、教える事、勧める事、分け与える事、指導する事、慈善を行う事などを挙げています。いわゆる「預言の賜物」以外は、全てここにしか出てこないものばかりです。しかし、これらが劣っている役割であるとしたり、別の賜物が「より優れている」としたりするのではなく、教会においてどういった役割が信者にあるか、そして、信者を通して聖霊は様々な形で神の恵みを現わされると考えるべきなのです。
そうして見た場合、第一テモテへの手紙で「監督」や「執事」といった人たちも、教会での役割、奉仕の働きであると分かると思います。つまり、一般に言われている「御霊の賜物」は、聖霊がそれぞれの働きに応じて現わされるものであり、それゆえに、数に限りがないのです。御霊の働きは無限ですから、それに合わせて毎回「~の賜物」という風に定義をしてもきりがありません。実際、パウロが挙げている教会での役割は毎回一致してはいません。私たちは、「御霊の賜物=9つの賜物」という連想をしますが、パウロは常に9つの役割に言及しているのではありません。パウロはそれらが限られたものだとか、決まった幾つかのものであると示唆してはいないのです。考えてみて下さい。パウロは自分でこれらの役割を挙げておきながら、預言、異言、異言の解き明かし以外のものについて解説をしていません。
教会における全ての役割は、それぞれユニークな御霊の現れであり、各信者の異なる奉仕の働きであり、バランスと秩序を保ちながら、それらを通してお互いの為になるように生かしましょうというのが、パウロの言わんとしている事なのです。パウロにしてみれば、預言的な働きをする以外は、特に助言は必要ないという事だったのでしょう。9つの役割も「五役者」と呼ばれている役割も、教会における役割であって、誰かが偉いというランクを示唆するものではありません。パウロはただ単に御霊の賜物というのは様々あって、その例として第一コリント人への手紙12章、ローマ人への手紙12章、エペソ人への手紙4章、第一テモテへの手紙1章、その他の箇所などで、その例を挙げただけなのです。それらは全て聖霊の現れであって、お互いの益になる為の教会での役割なのです。
「御霊の賜物」がしばしば「霊的能力」として捉えられているようですが、それはやむを得ないものかもしれません。私たちは神よりも神の力に注意が行きがちです。しかし、恵みの現れとして、聖霊が信者を通して働かれるという、「教会における役割」に目を向ける事が重要です。そうすれば、誰がより優れているかという考えには至らないでしょう。
第一コリント 12:22-24「それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、かえってなくてはならないのです。また私たちは、からだの中で見栄えがほかより劣っていると思う部分を、見栄えをよくするものでおおいます。こうして、見苦しい部分はもっと良い格好になりますが、格好の良い部分はその必要がありません。神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、からだを組み合わせられました。」
「御霊の賜物」は、「聖霊が与えるギフト」ではなく、恵みという聖霊の現れです。神の恵みである聖霊が、その力を発揮して様々な形で現れて下さるのです。第一コリント12章における恵みの現れは、教会における信者の役割に関係しています。神から特殊な霊的能力が与えられたから何かができるという事ではなく、私たちのうちに住む聖霊が私たちの必要に応じて様々な形として現れて下さり、私たちと共に働いて下さるという事なのです。
ですから、誰かが癒しを必要としている状況において、信者が癒しの働きを病人にする時、聖霊は癒しという恵みを現して下さるのです。特別な油注ぎを受けていないと癒しの賜物を用いる事ができない、という事ではありません。実際には、各自が奉仕の働きに熱心であるなら、霊的に幼いクリスチャンでも、御霊が助けて下さるのです。
御霊の賜物を理解する その3に続きます。