聖書的な教会 3

5.聖霊の導き

 クリスチャン生活の秘訣が、御霊によって歩むという真理にある事を知っている人は多いものです。しかし、御霊によって歩むという意味と、それがどのようにして可能になるかが鍵です。実は、聖霊のバプテスマはその第一歩となります。そこから、御霊と共に信仰の歩みを学ぶ必要があります。さて、聖霊の導きに関して言えば、それは私たちが聖書を読んで聖霊の導きを知る事が最も重要です。聖書にある真理をよく分からずに聖霊の導きを求めると、霊的体験主義になってしまい、聖書の解釈が個人の体験に偏ってしまいます。

 クリスチャンの霊的歩みの半分は、御言葉が鍵を握っていると言えます。私たちが気づかないだけで、聖霊は聖書を読むように指示しているのです。イエスの言った事を思い起こさせ、御言葉にある全ての真理に導く事が、御霊の第一の目的だからです。また、聖霊の導きを吟味するには、聖書の真理の理解が不可欠です。個人的体験から学ぶような、感覚的なものだけでは、聖霊の声を完全に吟味する事は不可能です。御霊の導きをよく理解する為には、まずイエスの教えと福音の奥義を理解し、その上で御霊の語りかけ、夢、幻、その他の御霊が導かれる方法を学ぶべきです。

5.賛美と礼拝

 私たちは、個人的な好みに偏りがちな選曲や、音楽のスタイルを超えた、霊的な事を知る必要があります。真の礼拝とは、霊とまことによる礼拝であり、集う信者が心を合わせてお互いの一致を保つ為に重要な役割があります。主に賛美と礼拝を通して、喜びにあふれる経験は、私たちを大いに励まします。賛美によって、皆が一致になると、神の働きがより大きなものとなるでしょう。

6.聖餐式、献金など

 聖餐式はオプションではありません。聖餐式を軽んじていたコリントのクリスチャンは、病人が大勢いました。十字架の恵みを体験するには聖餐式は欠かせません。同様に、献金もオプションではなく、皆が喜んで与えるべきです。しかし、何も理解しないで、これらの事を儀式として行うなら、その恩恵を無駄にする事になります。聖餐式によって健康を保つ事が出来たのに、それを単なる食事として済ませていたコリントの信者は、パウロから注意されました。献金に関しても、強いられたり、喜びと信仰を持って行わないなら、神からの祝福を体験できなくなります。


まとめ

 使徒たちがいなくなった後、初代教会がなくなり、ローマカトリックが代わって、クリスチャンを支配しました。当時のような、聖書的な教会は、少しずつ回復に向かっていると言えます。ペンテコステ運動からは大きな混乱もありますが、それはサタンも必死に、御霊の働きを止めようとしているからです。しかし、御霊とその力が回復される時、私たちは、かしらであるキリストに向かって成長する事になるでしょう。