ロゴスとレーマ 1

 一部のグループでは、λόγος(ロゴス)と ῥῆμα(レーマ)が大事だと主張されています。その主な理由は、レーマが聖霊の声だと、彼らの間で認識されているからです。これらの単語には相違点がありますが、共通点もあります。

 第一コリント 12:8「ある人には御霊を通して知恵の言葉が、ある人には同じ御霊によって知識の言葉が与えられています。」

 パウロによると、知恵の言葉であれ、知識の言葉であれ、同じ御霊によって与えられるという所がポイントです。さて、「霊的なもの」に傾倒しているクリスチャンなら、知恵の「言葉」と知識の「言葉」は「レーマ」だと思うかもしれません。しかし、両方ともロゴスとなっています。

 ヨハネ 12:48「私を拒み、私の言葉を受け入れない者には、その人を裁くものがあります。私が話した言葉、それが、終わりの日にその人を裁きます。」

 イエスの言われた、「私の言葉」はレーマですが、「私が話した言葉」はロゴスが使われています。ロゴスの意味を「書かれた言葉」として定義しているなら、それが間違いである事がここで分かると思います。

 マタイ 7:24-27「ですから、私のこれらの言葉を聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえる事ができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。また、私のこれらの言葉を聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえる事ができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」

 「私のこれらの言葉」はイエスが話された言葉なのですが、ロゴスの単語が使われています。イエスはここで、ロゴスを聞いて行わない人は、砂の上に自分の家を建てた愚かな人だと言いました。

ロゴス

 ロゴスは「話された言葉」を含む「語り」「教え」「宣言」「預言」など「言葉」に関する、幅広い意味を持ちます。又、必ずしも聖書に関する言葉という意味だけに限定されません。ここれに対してレーマは「話された言葉」という限定された意味があります。注意したいのは、両方とも「話された言葉」の意味を持つという事で、一部の人々が誤解しているような、「ロゴス=書かれた言葉=聖書」ではないという事です。

 ロゴスとレーマ 2に続きます。