ロゴスとレーマ 3

 ヨハネによる福音書 16:13-14「 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなた方を全ての真理に導いて下さいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いた事を全て語り、これから起こる事をあなた方に伝えて下さいます。御霊は私の栄光を現されます。私のものを受けて、あなた方に伝えて下さるのです。」

 御霊は御言葉(ロゴス=イエス)を思い出させて下さり、真理に導く(イエスに導く)最も重要な働きを持っています。御霊は、私たちの助け主というサポートの立場を維持します。ですから、御霊の語る事(ロゴス)だけで事が成就するのではなく、それに従って私たちが行動する時、その御霊の導きや啓示が成就します。従って、聖霊の導きによる語りかけそのものはレーマではないという事です。私たちの信仰による行動が常に関わっているというのが重要なポイントです。もし、聖霊の語った言葉が直接レーマになっているのなら、聖霊が全ての事を成就させる事になります。それなら私たちとは無関係になり、私たちが世界宣教などしなくても良い事になります。

 私たちの何が関わっているかと言えば信仰です。そして信仰の結果である行動です。私たちがロゴスを信じてその通りに行動に移すと、そのロゴスが効果を伴う事になり、それがレーマとなるのです。既に説明したようにロゴスも「語られた言葉」という意味があります。聖霊が私たちに語られる指示や導きは基本的にレーマではなくロゴスです。聖霊が私たちの信仰を必要としない形で(レーマで)事を成し遂げるケースは、私たちが霊的に幼い時が主になります。成長して私たちが信仰によって歩むように導くのが聖霊の導きである為、御霊の声の多くはロゴスになっています。御霊が私たちに語るのは、私たちを通して働きをしたいと望んでいるからです。そこには当然、私たちの信仰が関わっています。それゆえ、レーマによって生きるとは、私たちがロゴスを信じて、それを実践する事によって生きるという意味です。

 聖霊が私たちの信仰なしに私たちを通して働く事があっても、それを毎回期待しなさいと神が言っているのではなく、御霊が私たちをサポートする存在であるという事を教えているのです。つまり、例え私たちが信仰によって歩んでいないケースでも、時にはバックアップして下さる恵みがあるという意味です。もちろん、そうだからといって信仰によって歩む必要はないと考えるのは間違いなのですが、多くのクリスチャンはそう考えているのです。

 本来の聖霊の働きは、私たちが信じて一歩を踏む出すタイミングで、私たちの信じた結果を出す部分にあります。ですから、「聖霊様、どうそ事を成し遂げて下さい」といった信仰のない希望の祈りは間違っているのです。神次第といよりも、むしろ私たちの信仰による行動と、神に対する私たちの献身的な歩み次第です。

 逆に言えば、私たちが忍耐を持って、長年何かを信じて行動に移していても、その結果が見られないのなら、正しく御言葉を理解していない事になります。何故なら、ロゴスを信じて実行するなら、それは確実にレーマになるからです。ロゴスがレーマになる為には、私たちがロゴスが言わんとする真理を信じる必要があります。聖書の教えている信仰とは真理に対して働くものであるので、御言葉を勘違いして信じているなら、それはレーマ、つまり、結果を伴う事にならないのです。

 ロゴスとレーマ 4に続きます。