ヨブ記を正しく理解する前提として、被造物は自由意志に基づいて行動している事、神が全知全能であられ未来が見える事、そして、未来が見えるがゆえに、神は全ての事を良い方向に持って行こうと計画されている事を知る必要があります。
ヨブ 1:8「主はサタンに言われた。「お前は、私のしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。」
神は「サタンがヨブに心を留めた」事を知っておられました。つまり、神はサタンの悪だくみを知っておられたのです。神は全知全能のお方なので、ヨブの心もサタンの考えも、未来の事も全て知っていました。
ヨブ 1:9-10「サタンは主に答えた。「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか。あなたが、彼の周り、彼の家の周り、そして全ての財産の周りに、垣を巡らされたのではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっているのです。」
サタンは疑問を投げかける事によって誘惑します。ヨブが神を恐れるのは、神がヨブを祝福したからだとサタンは言いました。神の祝福とは、神の恵み(神の好意)の事ですから、それを受けるヨブが神に対して畏敬の念を持つ事は、ある意味当然だと言えます。恵みを与える事ができるのは神だけなのですが、サタンは「神がそのような事さえしなければヨブは神を呪う」と言いました。つまり、「神が神らしい事をやめるなら」と言ったのです。
ヨブ 1:11「しかし、手を伸ばして、彼の全ての財産を打ってみて下さい。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」
サタンは、神が手を伸ばしてヨブの全ての財産を打ってみて下さいと大胆に神を誘惑しました。サタンがエバにした事と同じです。
創世記 3:4-5「すると、蛇は女に言った。「あなた方は決して死にません。それを食べるその時、目が開かれて、あなた方が神のようになって善悪を知る者となる事を、神は知っているのです。」
さて、次の箇所が問題の箇所です。
ヨブ 1:12「主はサタンに言われた。「では、彼の財産をすべておまえの手に任せる。ただし、彼自身には手を伸ばしてはならない。」そこで、サタンは主の前から出て行った。」
ここを読んで「サタンは神の許可を得て悪事をする」と解釈してしまう人もいますが、原文では「サタンの手の中にある」と神が言われただけです。実際、サタンはアダムとエバをだまして以来、自由にあらゆる悪事をして来ました。ヨブの時代になって、急に神からの許可をもらう必要があるとサタンが思いついたはずがありません。
権威とは「誰からの許可なしに何かをする事」を意味します。地上の全ては既にサタンの手の中にあったのですから、サタンが権威を持っていたとも言えるのです。その背景には、アダムとエバが騙されて罪を犯してしまった事があります。サタンは人の中に罪をもたらし、人が肉によって生きる者としました。五感に従って歩むようになった人間は、地上を治める権威を放棄してしまったかのように歩み始め、その結果、サタンは地上であらゆる悪を行い始めたのです。
サタンの支配
使徒 26:18「それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうして私を信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々と共に相続にあずかる為である。』」
1ヨハネ 5:19「私たちは神に属していますが、世全体は悪い者の支配下にある事を、私たちは知っています。」
2コリント 4:4「彼らの場合は、この世の神が、信じない者たちの思いを暗くし、神のかたちであるキリストの栄光に関わる福音の光を、輝かせないようにしているのです。」
キリストの弟子たち(ここではルカ、ヨハネ、パウロ)はサタンの支配を認識しています。しかし、サタンの支配は神がサタンに許可を与えたからという事ではなく、アダムの違反が主な原因でした。次の箇所では、サタン自身も自分の地上での支配を認識しています。
マタイ 4:8-9「悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世の全ての王国とその栄華を見せて、こう言った。『もしひれ伏して私を拝むなら、これを全てあなたにあげよう。』」
サタンはこの世の全てを彼のものとしたのです。どのようにしてサタンはこの世を支配したのでしょうか?死という武器を持ってです。
ローマ 5:14「けれども死は、アダムからモーセまでの間も、アダムの違反と同じようには罪を犯さなかった人々さえも、支配しました。アダムは来たるべき方のひな型です。」
死があるのも、神がサタンに許可したからではなく、人の罪が原因です。従って、アダムに罪を犯させる事を通して、サタンは全ての人を罪の奴隷にし、人を死によって滅ぼしたのです。罪の奴隷に対する報酬が死だからです。もちろん、サタンのその計画も失敗に終わっています。主の十字架の御業によってサタンの計画は破壊されました。しかも、贖いの計画は地の基が定まる前に存在しているのです。究極的に、神の良い計画にまさるものは存在しません。
ヨブ記2章
ヨブ 2:3-6「主はサタンに言われた。「お前は私のしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。彼はなお、自分の誠実さを堅く保っている。お前は、私をそそのかして彼に敵対させ、理由もなく彼を吞み尽くそうとしたが。」サタンは主に答えた。「皮の代わりは、皮をもってします。自分の命の代わりには、人は財産全てを与えるものです。しかし、手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってみて下さい。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」主はサタンに言われた。「では、彼をお前の手に任せる。ただ、彼の命には触れるな。」
神は、ヨブに心を留めたサタンが「何の理由もないのにヨブを滅ぼそうとした」と言われました。神の視点によると、ヨブを滅ぼそうとしたサタンは、その正当な理由を持っていないのです。
サタンはヨブの所有物を破壊したのですが(ヨブ記1章)、このサタンの最初の作戦は失敗しました。ヨブは神を呪うどころか、文句一つ言わなかったからです。そこでサタンはヨブに直接攻撃する事を考え、「彼の骨と肉とを打って下さい」と再び神がヨブを打つようにと言いました。もちろん、神がそんな事をするはずはありません。そこで神は「彼をお前の手に任せる(直訳は手の内にある)」と再び言ったのですが、ここも1章同様、神の意図が隠れています。このストーリーの中心人物であるヨブにもそれが見えませんでした。神の意図とは、自由意志を悪事に利用したサタンを逆手に取って良いものに変えるという事です。
ヨブ記の1章で、神はサタンの計画が失敗に終わるという結果を既に知っておられました。という事は、サタンに対して「彼をおまえの手に任せる」と言った神は、「許可」を与えているかのようにサタンの前で振る舞っただけなのです。結果を既に知っている神は、サタンの挑戦に対して、あたかもサタンに幾らかでもチャンスがあるかのようにしているのです。そうとは知らないサタンは、ヨブを直接攻撃するならヨブはきっと神を呪うだろうと考えていました。
結果を既に知っている神の視点から見るならば、サタンは失敗に終わる計画を企んでいたという事になります。失敗に終わる事をサタンはこれからやろうとするのを、神は見ていたのです。神は、サタンの自由意志が悪い方向に動く事と、ヨブの自由意志が悪に向かう事はない事を知っていました。その時のサタンは勝算があると思っていて、神に話しています。まだキリストの復活の力を知らずにいたサタンは、全てをコントロールできると考えていました。
1コリント 2:8「この知恵を、この世の支配者たちは、誰一人知りませんでした。もし知っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。」
キリストを十字架につけようとサタンはイスカリオテのユダを筆頭に、多くのユダヤ人の背後で働きました。しかし、それはサタン自身が墓穴を掘る事になったのです。
神はサタンに許可を与える? 2に続きます。