家系・世代の呪い 2

敵の攻撃

 ここで少しだけ霊の戦いについて触れます。まず、悪霊は何の理由もなしに攻撃してくるという事を最初に知るべきです。彼らは悪そのものであるゆえに、「正当な理由」などを必要としません。ヨブ記を間違って解釈して、サタンは神の許可を得て、人間を攻撃すると言う人もいますが、サタンは毎回律儀に、神から許可をもらってから人を攻撃しているのではないのです。神は全ての良い物を与える方であり、サタンは全て悪い事をする邪悪なものです。

 クリスチャンになるだけで、自動的に何でも神に守られる事になると考えている人もいます。しかし、私たちは悪魔に立ち向かう必要があり、神の全ての武具を身に着ける事が必須なのです。クリスチャンが新生した時から、既に神の武具を身についているのであったなら、パウロはあえてそのように言ったはずがありません。勝利は既にイエスによって宣言されているのですが私たち自身も戦うのです。

 「これはあなた方の戦いではなく、神の戦いである。」(第二歴代誌 20:15)を間違って引用して、私たちが戦わずに何もしないならサタンの思うつぼです。この個所を全ての霊の戦いに応用して、ただ祈るだけで受け身的に勝利を待つようにと勘違いしているなら、サタンは常に攻撃する側にいて、クリスチャンは常に守りになってしまいます。御霊の剣が使えないクリスチャンはそのうち、守るのに疲れ果ててしまい、遂には勝利を見逃してしまうのです。私たちの戦いは、既に勝利があるという約束に基づいて戦うのですから、新約聖書通りにすれば必ず勝てるのです。ただし、かぶと、胸当て、信仰の大盾等の防御用の武具ではサタンを倒す事はできません。

 旧約聖書の時代は十字架の勝利よりも遥か以前でしたので、誰もサタンに対して戦う事は不可能であり、「戦いは神だけの戦い」だったでしょう。しかし、聖霊の力を持つクリスチャンは御霊の剣でサタンを打ち負かすという重要な仕事が任されています。

敵は機会を狙う

 悪霊は様々な機会を捉えて攻撃を仕掛けて来ます。肉の思い(人の欲や否定的な考え)だけでなく、間違った教えから来るものも含みます。神は病気を与えて人に試練を与えると信じるなら、それに悪霊は便乗するのです。或いは、イエスの十字架を見ないで罪を取り除こうと、あらゆる人間的な努力をしていると、悪霊はその人を罪意識の中で苦しめます。罪からの解放を知らないがゆえに、悪霊に攻撃のチャンスを与えてしまっているからです。

 先祖の罪ゆえに呪いを受けてしまうと考えるなら、それが悪魔の攻撃してくる機会となってしまうのです。しかし、先祖の罪も十字架で処分された以上、それが原因で悪霊に呪われる事はありません。エレミヤ・エゼキエルの時代ではその呪いはなくなっています。悪霊は、家系の呪いとは関係なく勝手気ままに悪を行います。

世代の呪いの欠点

 呪いという概念は、旧約時代の初期にはあったとしても、それは律法が要求する刑罰の事であって、本来は悪霊とは無関係でした。新しい契約の下ではそれは通用しません。イエスもパウロもそのような事について触れていません。それなのに、それについての今日の霊の戦いのセミナーなどでは、先祖の呪いからの解放される為に、先祖に変わって、彼らの罪を悔い改めるように教えます。しかし、三代、四代前の
先祖の犯した罪の全てを知る事は不可能です。

 最初から先祖の全ての罪を知る事が不可能だと誰もが分かっているのに、そうする事を指示した後で「私たちの知らずに犯した罪もお赦し下さい」という、最終的に漠然とした祈りで締めくくってもOKだとするのです。最終的には原因を探らずにも解放できるという矛盾にたどり着きます。「大事なのは反省した謙虚な心だ」という類の言葉でもって、素早く丸く収めれば多くの人は気づかないものです。そして、とにかくそういったプロセスが、例え上辺の形だけでもやらないと、悪霊は出ていかないと教えます。

イエスの御名

 先祖からの呪いを解いた後で、悪霊を追い出す必要はありません。すぐに悪霊を追い出すだけで良いのです。勝利は既に私たちのものなのです。悪霊を追い出す前に必要な、呪いを解く儀式は存在しません。そうだとすると、イエスの御名だけでは不足だという事になるのです。イエスが私たちに与えた権威を知らないと、様々な非聖書的な方法に走ってしまいますが、聖書では私たちの足でサタンを踏み砕くと書いてあります。うちにおられるキリスト、新しいアイデンティティーを理解しているクリスチャンなら、家系・世代の呪いを気にしません。何故なら、彼らはそれが存在しないという事を知っているからです。

 マルコ 16:17「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、私の名によって悪霊を追い出し、新しい言葉で語り、」

 先祖からの呪いを解くのが、悪霊からの解放の「必須プロセス」だと信じてしまっている場合、その信仰のゆえに、その方法が通用する事もあります。しかし、呪いを解く為の儀式を勝手に作って、そこに信仰を置く必要はありません。イエスの御名に信仰を置く方が、聖書的である上に、すぐに悪霊を追い出す事ができます。