思考の一新 6

自分の中の考え

 多くのクリスチャンでも、自分の中にある全ての考え(良いのも悪いのも)は、自分自身で思いついていると思っています。しかし、先に書いたように、クリスチャンの根本的な思考は既にキリストの心(思考)であるので、自ら悪い事を生み出す事はありません。肉の思いは、サタンが私たちにその悪い思考パターンを思い出させているケースもあります。

 肉の思いとは、あなた自身が肉的に深く考えた結果ではあります。しかし、最初にその悪い考えや発想を入れたのは、サタンであるケースもあります。サタンが悪い考えを入れた事に気付かないなら、それを自分のものとして扱うでしょう。それは、サタンが入れた肉の考えに同意する事と同じです。あなたが同意した時点で、あなたは戦いに負けたのです。最初のうちは、肉的な考えがサタンから来たのかどうか、よく分からないかもしれません。しかし、肉的な考えは全て敵の攻撃と見なして排除しましょう。それが大事なポイントです。参考として、サタンがクリスチャンに対して肉の考えを入れるケースを紹介します。

ケース1

 一つ目は、肉の考えが突然頭の中に浮かんでくるようなケースです。急に悪い事を思いついたのなら(実際にはあなたが思いついたのではないのですが、そのような錯覚はあります)、それはその考えが外から入って来た証拠です。また、自分では考えたくない悪い考えに悩まされる場合もそうです。自分では考えたくないのに、何故かその事が頭に浮かんでくるようなものはサタンからの攻撃です。

ケース2

 私たちが他人の事について考える場合です。他人に対する見方は、偏見になりやすいです。偏見に妄想を加えて、さらに極端にしてしまうと、相手に対する憎しみなどが大きくなります。想像の中でその人と口論し始めるかもしれません。その口論がヒートアップするような展開が思考の中で起きているなら、その声はサタンからのものです。サタンは、その人に対する間違ったイメージをあなたの中に入れようとしているのです。

 敵が悪い考えを持ってくるケースもあるという事を覚えておいて、それを見抜けるようになれば、「自分で悪い事を思いついた」という勘違いからすぐに解放されます。私たちはそうした肉の考えに浸るのではなく、それを追い出します。最初は一日のうちに、何度もそれをしなければならないでしょう。長年パターン化された肉の考えは、あなたの一部となっているので、ついその考え方をしてしまうものです。しかし、それを徹底的に締め出す忍耐が必要です。誰でも意図をもって悪い事を考え、それを行動に移そうという自由意志はありますが、そのような事をするのは基本的に未信者だけです。

 第一ヨハネ  3:9「神から生まれた者は誰も、罪を犯しません。神の種がその人の内に留まっているからです。その人は神から生まれたので、罪を犯す事ができないのです。」

 新しくされた私たちの霊は、罪を犯す事はできません。クリスチャンが罪を犯すのは、魂と体においてなのです。未信者は新しい霊と、そのうちにあるキリストの思考を持っていない為に、罪を犯す方向に進む傾向が強いです。人が犯した罪は事実ですが、幸いな事に、全ての罪は既に赦されているという真理があります。そして、キリストの聖なる血を受けた私たちには、罪に打ち勝って生きていく道をも用意されているのです。パウロによって明かされたこの奥義はとても重要です。

 その勝利の生き方は、思考の一新を主とする、魂の成長という過程を経て現実化して行くものです。既に罪と死の原理から解放されたという、霊における真理を魂と体の領域においても現実化する事です。キリストにおいて、私たちは全ての霊的祝福を霊の内に頂いていますが、それを魂と体の領域に表すには、私たちが成長の道を進んで行かなければなりません。既に霊において癒されている真理に対して、信仰を働かす事によってその癒しを魂と体において現実化するのは、私たち次第とも言えるのです。

思考の一新 7に続きます。