思考の一新 3

 ローマ 12:1‐2 がよく引用される事もあって、思考を一新するという教えは、多くの人が知っているかも知れません。私たちが大人に成長する為に思考を一新させなさいとパウロは言っていますが、実践しないでは成長はないのです。御言葉を聞くだけで実践しないとせっかくの恵みによる祝福を受け損ないます。これが理由で、クリスチャン生活が長く、ある程度の聖書の知識を持っていたとしても、信仰的にはとても弱い人たちが大勢いるのです。彼らは、多くの御言葉に対する信仰を持っていません。基本的に、永遠の命に対する信仰以外は、信仰が働いていないのが多くのクリスチャンに共通するものでしょう。

要塞の形成

 例えば、ある人が長い人生を掛けて短気の生活を送って来た場合、短気の思考パターンを一新するのには時間が掛かる可能性があります。何故なら、その生活を長く続けて来たからです。その人の中で強くなった思考パターンは、要塞となっている為に、簡単に落ちないのです。一方、どのような罪や悪習慣でも、短い期間の間だけであったのなら、比較的簡単に思考を変える事ができます。

 何度も同じ考え方で考えると、それは要塞となります。一度要塞になってしまうと、直ぐには思考が変わりません。この要塞は、聖書では悪い意味で使われていますが、イエスの教えに沿った考えを要塞にするなら、その人の信仰はとても強いものとなります。従って、要塞とは、同じ思考パターンを何回も繰り返し経験して築き上げたものであり、習慣化された考え方の事です。

 さて、誰でも悪習慣から解放される事はありますが、クリスチャンの場合は御言葉の力で要塞を砕く事ができる点で非常に有利な立場にいます。悪習慣が悪霊の力によって大きく影響されている場合だと、御言葉による力なしでは解決できないので、未信者の場合はクリスチャンの助けを借りないと悪霊からの解放は、基本的に望めません。

 固執した考えや強い信念などは何でもその人の中で要塞になってしまうので、聖書的なもの以外で何かに没頭するのは危険です。人が何かに集中したり意識を強く向けたりして深く考え、しかもそれを長く続けて行うなら、それは偶像礼拝になるからです。私たちが心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くす対象は主だけです。

戦いの場

 霊の戦いとその戦場は、空中で悪霊と天使が戦っているようなもので説明される事がありますが、そこが主な霊の戦いではありません。私たちの霊の戦いは思考の中にあります。サタンや悪霊が最も大きく人に影響を与える攻撃は一つしかありません。それは非聖書的な言葉でもってその人の思考をかき乱す事です。人は自らの欲(肉の思考)という弱さを持っている上に、サタンから誘惑を受けます。普段から肉の思考で物事を考えているのなら、その時にサタンが誘惑すれば簡単にサタンの言う事を聞いてしまうでしょう。肉の思考を捨て、御霊の思考で歩む時にしか、サタンに打ち勝つ事ができません。サタンのこの攻撃は昔から今も同じです。

 
創世記 3:1「さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、他のどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」

 アダムとエバは肉の思考で考えた事もありませんでした。サタンは「神は、本当に言われたのですか」とエバに言った事は、自分の神に対する立場を表しています。つまり、神に反逆する者だという事です。そう言われたエバは、初めて神の言った事に対して考えるようになったのです。そこから、疑いが生じました。

 
創世記 3:3「しかし、園の中央にある木の実については、『あなた方は、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなた方が死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」

 神はアダムに園の中央にある木の実について忠告したのですが、エバには言っていません。エバの創造の前にアダムがいて、その時に神はアダムに言ったのです。エバが神から直接聞いていないのは明らかです。何故なら、エバは「それに触れてもいけない。あなた方が死ぬといけないからだ」と言ったからです。「触れただけ」で死んでしまうような超危険な木の実ではありませんでした。彼らが間違えてそれに触ったら、死んでしまうようなものではありませんでした。そうではなく、意図的にその木の実を食べて神の言葉に逆らわないと死ぬ事にはならなかったのです。

 アダムは恐らくエバに園の中央の木の実について伝えていた事でしょう。ですからエバは、少なくとも神がその木の実を食べてはならないという事は知っていました。ところが、エバがはっきりと神様から直接聞いていなかったのを見抜いた蛇はそのチャンスを見逃さず、すかさずエバに言いました。

 
創世記 3:4-5「すると、蛇は女に言った。「あなた方は決して死にません。それを食べるその時、目が開かれて、あなた方が神のようになって善悪を知る者となる事を、神は知っているのです。」

 ここでサタンは、今度は大胆にエバに嘘を言いました。疑問を投げかけた時とは違い、完全に神に逆らうようにいいました。こう言われたエバは、その時初めて、肉の思考で考えるようになったのです。それまではその木の実を見てもなんとも思わなかったのですが、考えが変わってしまいました。

 
創世記 3:6「そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、共にいた夫にも与えたので、夫も食べた。」

 エバが肉の考え方で木の実を見ると、それは目に慕わしく見えました。肉の欲がはらんだので彼女はその木の実を取って食べてしまいました。

 
ヤコブ 1:15「欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。」

 
ローマ 8:6-7「肉の思いは死ですが、御霊の思いは命と平安です。なぜなら、肉の思いは神に敵対するからです。それは神の律法に従いません。いや、従う事ができないのです。」

 肉の思いが死なのは、その思考パターンが罪を犯させるものだからです。そして、罪が熟すれば人は死んでしまうのです。

思考の一新 4へ続きます。