思考の一新 7

ステップ4

 御言葉を宣言する。肉の思考に対して戦うには、御言葉を武器として用いるのが最も効果的です。御霊の剣は要塞をも打ち破る事ができます。例えあなたが長年ずっと考えてきた悪習慣として確立した思考(要塞)でも、御言葉によって打ち破る事ができます。不安の考えによって悩まされているなら、平安の御言葉を宣言するのです。病に対しては健康や癒しの御言葉を用います。このステップは御言葉を知らないといけないので、普段から聖書を読んで御言葉を蓄えておく必要があります。

 ただ口で御言葉を宣言すれば、自然と思考が一新されるという事もあります。何故なら、御言葉に既に神の力があるからです。従って、信じてはいないけれども、とにかく御言葉を口ずさむ事をしていても効果は幾らかはあるでしょう。しかし、思考を一新させる事は魂の領域の働きなので、知性がうまく機能するには物事が理路整然としていないとなかなかスムーズに行きません。従って、「ただ口で御言葉を宣言する」という考えで行うよりも、御言葉が信じるに値し、最終的な権威を持っている事などをまず知るなら、私たちは御言葉に頼る事に納得するでしょう。その納得・理解の上で御言葉を宣言するのなら、あなたのその時の態度はもっと積極的になるので効果的になります。知性は、何故そうする事が必要か・どんな意味があるのかを知りたがります。それで、そのプロセスとかメカニズムが分かると納得します。納得した人は、それを信じて実践する傾向があります。

ステップ5

 宣言した御言葉通りに行動に移します。最初の一歩は小さくても良いのです。御言葉を宣言して信じるなら、その結果として何かの行動をするのが自然になるまで、御言葉によって思考を一新させます。肉の思考を口にするのではなく聖書の言葉を語り、それに伴う行動をします。不安であっても信仰によって喜び賛美し、苦しい時でも主の平安を宣言して思い煩いを止めます。ついつい肉のままに流されてしまうようでも、御言葉の真理に頼る事が鍵です。

 最後は、1から5のステップをしばらくやってみて、自分にどう変化があったか、そしてどこを修正すればより良い結果が望めるか、などといった評価をします。改善の為の調整は各個人の判断によって異なりますが、これらのステップを根気強くやらなければいけない点は共通しています。最低でも毎日30分、集中してやるなら、1週間くらいで何らかの良い変化が期待できます。2週間もすれば、新しい思考パターンがあなたの中で強くなっているのを実感するでしょう。一か月後には、その健康的な考えによるライフスタイルが確立され、早ければ90日を過ぎる頃には、前に考えていた古い肉の思考に悩まされる事がなくなっているはずです。そして、その新しい思考は御言葉によって支えられ、しっかりと根がついているでしょう。

まとめ

 多くのクリスチャンの持っている霊の戦いの認識は、問題が表面化しているのを見た後で「サタンに攻撃されている」と言う様なものです。事が大きくなってから、或いは、事が起こってからそれはサタンの仕業だという認識ではあまり意味がありません。ちょうどエバが罪を犯したのはサタンが誘惑したからだと言い訳したのと同じです。散々あれこれと罪に関与した挙句に、そうなってしまったのはサタンの攻撃があったからだとするのは、あまりにも気づくのに遅いのです。車がぶつかった後で事故が起きましたと言ってもしょうがありません。事故になる前にその前兆を認識して、ブレーキを早い段階で踏んで事故を未然に防ぐのと同様に、サタンの攻撃を認識してブレーキを踏む(攻撃を打ち破る)為には、サタンの攻撃とそのやり方を知る事がまず必要になります。

 サタンが戦いの場として選んだ所は彼の得意とする領域です。それは私たちの思考の中です。サタンは長い間人を見てきたので、私たちが肉の思考に弱い事をよく知っています。空中で天使と悪霊が戦っている様なものが霊の戦いの主な戦場ではありません。教会の歴史で同じ失敗が繰り返されてきた大きな理由の一つは、霊の戦いの戦場に気付いていないクリスチャンが多いからです。サタンは賢いので自身の存在を見せずに攻撃します。地域の縛っている霊をとりなしの祈りで追い出す事よりも、まず私たちの思考の中でサタンの攻撃を打ち砕く必要があります。

 思考の中でやられてばかりのクリスチャンの集いには、あまり力がありません。そうした人たちが集まって祈っても信仰による行動を起こさないので、その結果いつも神様に事をして下さいとお願いする祈りになっています。その集いの祈りはただひたすら、主の油注ぎ、聖霊の臨在、或いは不思議なしるしやリバイバルを祈って待っているだけの受け身の態度です。しかし、神様の子供であるというアイデンティティーの認識と、私たちのうちにおられるキリストが思考の一新によって主の祝福を現実化するなら、私たちは大胆に歩む事ができるのです。事実、神様が私たちの信仰による一歩を待っておられるのです。私たちの宗教的で熱心な希望の祈りが神様を動かすのではありません。そもそも祈り自体が神様を動かすのではなく、信仰による大胆な祈り(宣言・誓い・命令)が山を動かし、それによって既に私たちのうちにある祝福(霊的に既に存在している祝福)を現実化させるのです。

 思考を一新する(考えを変える)事によってのみ、私たちは肉の思考(サタンの攻撃)を排除できます。それは日々の霊の戦いであり、それはまた聖化という信仰の成長なのですが、私たちはそれをゼロからスタートするのではなく、既に聖なる者とされているという真理からスタートします。難行苦行を経て到達するという宗教的な努力ではありません。聖化とは既に与えられた恵みを思考の一新(考えを変える事)によって外に表していくというもので、御言葉を信じる事から始まります。今までの悪い習慣による肉の思考を排除するには時間が掛かるでしょう。これは信仰の戦いです。信仰が鍵です。敵の火矢を打ち消す信仰の大盾は、唯一私たちがサタンの攻撃を受けてもダメージを受けない防具です。

 思考の一新は根気強くやる事はもちろん、それ自体が成長のプロセスなので時には失敗もあるでしょう。しかし私たちクリスチャンにとって、各個人の霊の戦いは、キリストの十字架によって最初から勝てるという前提に立っています。思考という私たちの弱い領域を、サタンは主な霊的戦いの場として選んだのですが、私たちの自由意志はとても強いものです。特にクリスチャンの場合は、キリストの思考によって自由意志が良い方向へ働くように影響されているので、後は御言葉に沿って考えて変えるだけなので勝利の道を突き進む事ができるのです。パウロはそれを悟ったので目標に向かって走っていました。サタンや悪霊は私たちの無知ゆえに強いのであって、私たちが御言葉を心に刻んでいけば、敵は弱くなって行きます。クリスチャンの成長の全ては神次第ではなく、その半分は私たち次第なのです。これが、新約聖書でパウロが説き明かした偉大な奥義の一つです。