思考の一新 2

 ローマ 12:2「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにする事で、自分を変えて頂きなさい。そうすれば、神の御心は何か、すなわち、何が良い事で、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」

 この箇所の「心」はギリシャ語では νοῦς = nous という単語で、それは人の一般的な考え、思考、知性、理解、判断、意思などを表します。kardia というギリシャ語の方が「心 」として一般的に訳されています。心でも考える事が可能な為、似ている点もありますが、心は人の中心的な部分であり、信仰の領域です。その他、旧約聖書では心と霊が同じ意味として使われている箇所も幾らかあり、理解が難しい領域の一つです。

 kardia がその人の中心となる本質や性格にまで関わる思考であるのに対し、nous は漠然と一般的な思考を指しています。つまり、その人の本質や性格とは特に関わりのない、その人が通常に持っている考えが nous であり、これを一新させる事が自分自身を変える事になるとパウロは言っているのです。ギリシャ語からの直訳だと、「あなたの思考の一新によって変えられなさい」になります。

 新改訳2017では「自分を変えて頂きなさい」という訳になっていて、あたかも神によって変えて頂きなさいというニュアンスを残していますが、思考の一新をするのは私たちです。神が私たちを育てるのは、私たちが御言葉を読んで、思考を一新する時なのです。神は、私たちがやるべき事をやっている時に一緒に働かれます。私たちは救いの為に努力をする必要はありませんが、救われたからこそ、信仰の道を歩むように、自分自身を訓練する必要があります。思考の一新はその主な訓練です。 

 思考の一新には、時間が掛かるケースとそうでないケースがあります。ある考えが人の中で強くなると、それは要塞となります。要塞となった強い信念は、その人の思考の中で大きな影響力を持つ事となり、それを一新するには時間が掛かるのです。この場合の要塞とは、神の知識に逆らう考え方です。一方、そのような悪い考えを持っていない人の場合は、思考の一新のプロセスは短いものになります。同様に、幼子のように素直に信じられる人は、考えを一新するのに時間が掛かりません。

 思考を一新するプロセスこそが聖書的な聖化の事であり、私たちにとっての成長です。一般的な神学による聖化は、律法主義的に考える傾向があり、人の努力によって漠然と何かを達成しようと試みるものです。しかし、肉の思考パターンをイエスの教えに沿う思考パターンに変える事が、成長に繋がるものであり、それはもやは、単なる聖書の学びを超えたものであって、目に見えて私たちに変化をもたらすものです。

 私たち自身が本当に変わるのは、思考や魂が真理の言葉に一致して行く時です。この成長の過程を経て、私たちは霊的な大人になるのです。ただ行動を修正しようとしても、私たち自身の考えは殆ど変わる事はありません。心理学的なアプローチでは人は変わらないのです。人の努力(魂の努力)に基づいた聖化も同様に、大きな効果をもたらしません。私たちは自分の努力だけによって御霊の実を結ぶ事はできません。究極的に言えば、御霊の実を結ぶには、聖霊の助けが大いに必要になります。しかし御霊は、私たちが思考を御言葉で一新する時にも、助けて下さるのです。

思考の一新 3に続きます。