家系・世代の呪い 1

 霊の戦いの分野において「家系、世代、先祖の呪い」という、間違った教えがあります。クリスチャンでも先祖の犯した罪ゆえに呪いがあって、それから解放されないと様々な被害を被ると言うのです。例えば、病気が癒されないのは先祖からの呪いがあるからだとか、各種の霊的束縛、その他の祝福を妨げる原因の一つだと言われています。

 これは、早くはデレック・プリンスが70年代から教えてきたものとされています。彼の霊からの解放に関するものは基本的には良いのですが、果たして「家系、世代、先祖の呪い」は聖書的なのでしょうか?間違った教理は、旧約聖書だけを引用して発展させたものが多く、恵みの下にいるクリスチャンには当てはまらないのが特徴です。この教えも同様です。

 出エジプト 20:3-6「あなたには、私以外に、他の神があってはならない。あなたは自分の為に偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主である私は、ねたみの神。私を憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、私を愛し、私の命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」

 出エジプト 34:7「恵みを千代まで保ち、咎と背きと罪を赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰して、父の咎を子に、さらに子の子に、三代、四代に報いる者である。」

 民数記 14:18「『主は怒るのに遅く、恵み豊かであり、咎と背きを赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰し、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす』と。」

 申命記 5:7-10「あなたには、私以外に、他の神があってはならない。あなたは自分の為に偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主である私は、ねたみの神。私を憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、私を愛し、私の命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」

 「父の咎を子に報いる」という事は、先祖の罪ゆえにその刑罰が三代、四代までにも及ぶという事なので、「家系、世代、先祖の呪い」と呼ばれるものは「先祖の罪」が原因となっているのが分かると思います。旧約時代では、先祖の咎が子孫に及んだのですが、それは正確には先祖の咎に対する律法の刑罰がその子孫に及んだという事です。ここまで見てきた聖書の箇所の中には「呪い」とは書いてありません。ただ、父の咎を子に報うと書いてあるだけです。

 申命記 28:15「しかし、もしあなたの神、主の御声に聞き従わず、私が今日あなたに命じる、主の全ての命令と掟を守り行わないなら、次のすべての呪いがあなたに臨み、あなたをとらえる。」

 同じ申命記でも、この箇所では「呪い」という言葉があります。しかし、条件があります。主の全ての命令と掟を守り行わない場合に、呪いがあるという事ですので、やはり律法が要求する「罪に対しての刑罰」という事です。15節以降には、呪いの内容について書かれてあります。

 さて、ここまで見て来た聖書の個所を基に世代の呪いという教えが作られたのですが、もし、これらの聖書箇所だけを見るなら、この教えは正しいと見えても仕方ありません。

旧約時代に終わっていた世代の呪い

 エレミヤ書 31:29-30「その日には、彼らはもはや、『父が酸いぶどうを食べると、子どもの歯が浮く』とは言わない。人はそれぞれ自分の咎のゆえに死ぬ。誰でも、酸いぶどうを食べる者は歯が浮くのだ。」

 「父が酸いぶどうを食べると、子どもの歯が浮く」ということわざは、父親の過ちのせいで、子供がその咎の報いを受けるという意味です。

 エゼキエル 18:2-4「あなた方は、イスラエルの地について、『父が酸いぶどうを食べると、子どもの歯が浮く』という、このことわざを繰り返し言っているが、一体どういうことか。私は生きている──神である主の言葉──。あなた方がイスラエルでこのことわざを用いる事は、もう決してない。見よ、全ての魂は、私のもの。父のた魂いも子のた魂いも、私のもの。罪を犯した魂が死ぬ。」

 「父が酸いぶどうを食べると、子どもの歯が浮く」ということわざがここにも出ています。3節では「あなた方がイスラエルでこのことわざを用いる事は、もう決してない」と神は言い、4節では、「罪を犯した魂が死ぬ」と言っています。この後、17節から24節までを読むと、父の咎のゆえの刑罰はその子には及ばなくなった事が分かります。

 エレミヤとエゼキエルの時代に、神は家系・世代の呪いはもうないと宣言していました。従って、旧約の時代に終わっているものが新約の時代に復活したという事はあり得ません。今は、恵みの時代なので、更に良い環境になっているはずです。

 ガラテヤ 3:13「キリストは、ご自分が私たちの為に呪われた者となる事で、私たちを律法の呪いから贖い出して下さいました。「木にかけられた者はみな、呪われている」と書いてあるからです。」

 私たちを「律法の呪いから贖い出した」のはイエスの十字架の御業ゆえです。イエスが十字架で全ての罪を赦し宣言しました。先祖が犯した罪だけは特別扱いして赦さなかったという事はありません。イエスは罪と罪から来る呪い全ても十字架で打ち壊したのです。

 呪いのように見える災いの背後には、悪霊が関わっている事があります。しかし、悪霊の攻撃は、呪いそのものではありません。人が罪を犯す時には肉の思いになっている為、それに便乗して悪魔は仕掛けてくるだけなのです。ですから、罪から離れ、悪霊を追い出せば良いのです。

 呪いのような影響が次の世代に起こっているように見える場合も、同じ先祖を攻撃した悪霊がその子孫を攻撃しているだけです。先祖の罪が間接的に影響している場合でも、悪霊はその罪とは無関係に攻撃をします。この場合、ただ同じ悪霊がそこにいて、次の世代に攻撃しているだけなのです。ですから、呪いと見なすのではなく、悪霊の攻撃と見なし、それを追い出すだけなのです。

 霊的な攻撃を受けているからと言って、それを先祖からの呪いだとして、細かくその対応策を考える必要はありません。単に悪霊を追い出すだけです。主からの権威と聖霊の力を持つクリスチャンは圧倒的な勝利者なのです。決して彼らを自分たちより強いと考える必要はありません。何故なら、サタンでさえ私たちの足で踏み砕く事ができるからです。

家系・世代の呪い 2に続きます。