思考の一新 5

ステップ1

 クリスチャンの場合、新しい霊によってキリストの心(思考)があるので、肉の思考で歩む必要がありません。ですから、まず私たちがする事は古い人は既に死んでいるという真理を信じる事です。古い人は罪の性質と肉の思考によって、そのアイデンティティーが確立されていたので、罪を犯してしまう奴隷として歩んでいました。その古い人はキリストと共に十字架につける必要があったのは、肉の思考も捨てる必要があるという事を示唆しています。そして、新しく生まれ変わったクリスチャンは御霊の思考を選択できる自由が与えられています。これらを知い、信じる事が最初のステップです。

 第一コリント 2:16「誰が主の心を知り、主に助言するというのですか。」しかし、私たちはキリストの心を持っています。」

 新改訳聖書ではキリストの心という訳になっていますが、ギリシャ語では kardia ではなく nous になっています。ですから、より適切な訳は「キリストの思考」でしょう。

ステップ2

 普段から肉の考えで色々と考えずに、すぐに聖書の御言葉を思い出す習慣をつけるようにします。相手の欠点を見てそれを肉の思考であれこれ考えると、次第にエスカレートしてその人に対する間違ったイメージが作られてしまいます。サタンはこのように仕向けるのです。そのような否定的な思いが入ったらすぐに止める事です。日常でこうした注意を敏感に払っていれば、次第に何が肉の考えなのか特に聖書に詳しく書かれていなくても分かるようになります。

 肉の行ないは比較的明確なものです。パウロも次の箇所でそう言っています。

 ガラテヤ 5:19-21「肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなた方に予め言っておきます。このような事をしている者たちは神の国を相続できません。」

 聖書から御霊の思考(霊的思考)を学ぶ事によって、何が逆に肉の思考かを知る事もできます。

 ガラテヤ 5:22「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。」

ステップ3

 次に、自分の考え方をチェックして、その中で何が肉のものかを見極めます。基本的に良心が痛むようなものは肉の考えです。何らかの形である罪の行いを理論的に正当化できたとしても、良心が痛むような事をしたのなら、それは罪であって肉的考えである事が分かります。自分の思考を分析する方法の一つとして、自分の考えた事をノートなどに書いてみると良いかもしれません。思っている事を書き始めると、どういった思考の過程だったかまで思い出す事もあります。最初は面倒かもしれませんが、このステップはとても重要なので、日記を書くつもりで習慣づけると良いでしょう。多くの御言葉が分かって来ると、自分の考えをチェックする時に、毎回ノートに書いてみなくても、何が肉的な考えかすぐに分かるようになります。肉の考えかどうかをいかに素早く見極められるかが成長の鍵です。気づくのが遅い程、肉の考えを放置している時間が長くなり、ついには、肉の歩みになってしまうのです。

思考の一新 6に続きます。