思考の一新 4

肉の思いはどこから?

 未信者の霊は再創造されていないので、キリストの考え方を持っていません。彼らにとっては、肉の思考パターンしか形成されません。その思考パターンは生まれながらに持っているのではなく、世の影響を受けて学習するものです。御霊の考え方を知らないなら、感情や五感が訴えかけるものに思考が形成されてしまいます。肉の思いに基づく自らの言動は、その人自身に死をもたらしているのですが、未信者はそれに全く気付いていません。クリスチャンの場合は、キリストの考え方が霊のうちにあるので、それによって歩むなら、命と平安に至るという選択があります。その歩みは、別の言葉で言えば、御霊によって歩む事なのですが、それがクリスチャンの歩みの鍵だと知っている人は多くても、実践していない人が多いのが現状です。

 クリスチャンには、肉の思考パターンと御霊の思考パターンを選ぶ事ができます。クリスチャンの霊は常に神に従いたいと考えているので、クリスチャンが肉の考えで歩もうとするなら、葛藤を覚えます。肉の思考は、人がアダムの違反の影響を受けた証拠です。いわゆる罪の性質は、イエスの贖いによって取り除かれたものの、肉的思考という思考パターンを形成する人の弱さは取り除かれていません。肉の思考が罪の性質と同じ、死に導く働きをするのなら、私たちは思考を一新する事の必要性を知るでしょう。

 しかし、肉的思考が単なる思考パターンという存在でしかないと分かれば、あなたの自由意思によってそれをどうにかできる事に気づくようになります。これがパウロの明かした奥義です。つまり、あなたが考えを一新させる事であらゆる束縛から解放されて歩めるようになっている、そしてその大きな恵みが既に与えられているという事です。その一方で、人が肉の思考という自分の悪い考えに支配されてしまう弱さはリアルです。その原因一つには、周りの環境が大きく関わっています。もし人が良い環境で育つのなら、例えイエスを知らなくても要塞なしに歩む事ができるでしょう。逆に、クリスチャンであっても周りの環境が悪ければ、肉の思考によって歩んでしまい、要塞を持つ事もあります。それに加え、サタンからの直接的な攻撃もあります。サタン自身も、私たちが肉の欲を満たすように、悪い考えを私たちの思考の中に入れます。エバを誘惑したように、考えるべきでない事を考えさせるのです。

 私たちの多くはまだ幼く、しっかりと御霊によって歩む事すら分からない、或いは、その歩みを継続できないくらい、信仰の成長の初期にいます。御言葉の真理に思考を一新させて来なかった信者の場合、救われる前の肉の思考で歩んでおり、その歩みに慣れています。そうすると、サタンは時々彼らを誘惑するだけで、十分悪い影響を与える事ができます。成長の道を歩んで来たクリスチャンはそう簡単には騙されません。常に聖書の言葉によって歩んでいるからです。全ての判断を聖書の言葉によって見極めようとするからです。しかし、一体どうしたらそのような歩みができるのでしょうか?

思考の一新 5に続きます。