完了から始める

 イエスは十字架で恵みを私たちに示しました。それは既に完了した事として、過去の事実なのです。この理解はとても重要です。福音の土台であるキリストの十字架の御業を知らないと、人は宗教に走ってしまうからです。キリストが完了された事を知れば、私たちはその事を信じる事ができます。これが、聖書の教える信仰です。

 キリストの十字架の御業で成し遂げられたにより、キリストを信じたクリスチャンは、
  • 古いアイデンティティーが死んだ
  • 神の子となった
  • 新しく生まれ変わった
  • 聖霊が与えられた
  • 義とされた
  • 聖なる者とされた
  • 永遠の命を与えられた
  イエスが十字架上でなされた事に対して、私たちがするべき事は、信じて受け取るだけです。例えば、赦される為に罪から悔い改めるのではなく、罪の赦しを信じて受けるのです。義とされる為に良い行いをするのではなく、信じて義と認めされたので、良い行いをするのです。私たちが何かをする事によって、神の恵みを得るのであれば、それはもはや恵みではありません。

 クリスチャンの歩みは、完了した所から始まります。それはイエスが十字架で完了した御業に基づきます。恵みをそのまま素直に受け取る事、これが私たちのするべき最も大切な事です。しかし、その豊かな恵みを拒む人は、イエスの十字架の御業を拒むがゆえに、あらゆる祝福を受け損なってしまいます。何故なら、全ての神の祝福はキリストの十字架が土台となっているからです。 

 考えてみて下さい。私たちにとって最も重要な祝福の一つである、永遠の命でさえも、私たちが信じなければ受け取る事ができません。その他の祝福を受けたい場合も、神の恵みを信じなければ受け取れないのです。イエスは「私の所に来なさい」と言って、信じるように招いています。私たちが信仰を持ってイエスの所へ行かないと何も始まりません。しかし、イエスの成された業を信じる事により、私たちは新しい人生を歩めるようになります。 

 実際、十字架の御業の完了は、私たちを新しい人に変え、私たちを新しい契約の中に導いてくれました。私たちはもはや、古い文字に仕えるのではなく、御霊に仕える者です。イエスを信じた私たちは、キリストにおいて、天にある全ての霊的祝福を受け取りました。永遠の命だけでなく、罪の赦し、病の癒しも、その中に含まれます。イザヤが預言したように、イエスが全ての罪と病いを負って下さったからです。

 私たちがそれらの祝福を獲得する為に、奮闘する必要はありません。自らの努力は、宗教的な行いであり、そこには魂の休息もありません。私たちのするべき事は、ただ福音を信じるだけです。そして、信じて恵みを受け取った結果、私たちは良い行いをする事になっています。何故なら、私たちは神の作品であって、良い行いをする為にキリスト・イエスにあって造られたからです(エペソ 2:10)。