第一ヨハネ 1:9 3

 第一ヨハネ 2:1「私の子供たち。私がこれらの事を書き送るのは、あなた方が罪を犯さないようになる為です。しかし、もし誰かが罪を犯したなら、私たちには、御父の前で執り成して下さる方、義なるイエス・キリストがおられます。」 

 「これらの事」とは、ヨハネが1章で書いた内容、イエス・キリストとの交わりの事です(第一ヨハネ 1:3)。ヨハネが「これらの事」を書いた理由は、その手紙を読んでいるクリスチャンが罪を犯さないようになる為だと言うのです。第一ヨハネ 1:8-9 を読んで、「人は罪の性質を常に持っていて、罪を犯さずにはいられない存在であり、それで常に罪を告白する必要がある」と解釈している人は、ヨハネの「私がこれらの事を書き送るのは、あなた方が罪を犯さないようになる為です」の言葉に戸惑うでしょう。しかし、クリスチャンは罪の性質から解放されていて、義人として歩む事ができると使徒たちは教えているのです。

 「もし誰かが罪を犯したなら、私たちには、御父の前で執り成して下さる方、義なるイエス・キリストがおられます」とヨハネは言っています。信仰の成長の過程で罪を犯した場合でも、イエスの十字架に目を向けるのが鍵だとヨハネが言っているのが分るでしょうか?犯してしまった個人的な罪そのものの告白が必要なのではなく、罪について「同じ事を言う」事が必要なのです。「同じこと」とは、ヨハネにして言えば、その手紙を読んでいるクリスチャンが既に知っている事です。その答えはもう少し先の節にあります。

 第一ヨハネ 2:7「愛する者たち。私があなた方に書いているのは、新しい命令ではなく、あなた方が初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなた方が既に聞いている御言葉です。」

 ヨハネの手紙を読んでいるクリスチャンは、既にヨハネから御言葉を聞かされていました。それは、イエス・キリストについての福音です。次の聖句で罪の赦しについて書いてあるので明らかです。

 第一ヨハネ 2:12「子供たち。私があなた方に書いているのは、イエスの名によって、あなた方の罪が赦されたからです。」

 ヨハネは彼らの罪が赦された(完了形)ので、手紙を書いていると言いました。ですから、罪の赦しの真理をきちんと理解している人は、罪を犯さなくなると言っているのです。更に、「もし誰かが罪を犯したなら、私たちには、御父の前で執り成して下さる方、義なるイエス・キリストがおられます」とも言いました。「罪を犯した時」ではなく、「犯したなら」という条件です。ヨハネにしてみると、彼らが罪を犯すのは「もしもの話」なのです。

 ヨハネはこの手紙で、既に福音を聞いた人々に、「罪について同じ事を宣言する」ように思い出させています。彼らが既にヨハネから罪について聞かされている福音、即ち、イエスの十字架によって罪が赦されたという真理が彼らにとって「同じ事」なのです。従って、犯した罪を告白するという意味ではなく、既に十字架によって赦されたという事を宣言し、同意して、認めるという事なのです。別の言葉で言うなら、罪に対してイエスが何をしたかを信じて告白するという意味です。

 「その罪を赦し、私たちを全ての不義から清めて下さいます」の部分については先に解説したように、「赦す」「清める」の動詞は時制の意味を含まないアオリストです。ですから、神は常に「赦す」のであり、「清める」のです。それは主の愛が、時間を超えた真理だからです。その真理とは、人の罪の告白によって罪が赦されるというものではなく、イエス・キリストの十字架の贖いの血によって罪が赦されているという事です。この神の愛と恵みに触れた人は自然と悔い改める(考えを変える)ようになり、主の御業を信じるようになるのです。