聖化とは

 聖書によると、クリスチャンが義人となるのはイエスの十字架の御業を信じた結果によります。信仰によってのみ、私たちはキリストの義を獲得します。イエス・キリスト以外の義は全て、宗教的な行いによって人間が努力してつかもうとしている義であり、それは真理ではありません。こうした義についての理解は、殆どのクリスチャンが正しく捉えているのですが、これを聖化と関連付ける時にその正しい認識が失われてしまっています。聖書が示す聖化には二つあります。

 まず、クリスチャンは信じた時に、聖い者とされたという事です。

 第二テサロニケ 2:13「しかし、主に愛されている兄弟たち。私たちはあなた方の事について、いつも神に感謝しなければなりません。神が、御霊による聖別と、真理に対する信仰によって、あなた方を初穂として救いに選ばれたからです。」

 「聖霊による聖別」があったからこそ、私たちは聖徒となっているのです。新生による聖化とは、私たちの立場から見た場合、つまり、私たちの霊、私たちの真のアイデンティティーにおいてそうなのです。私たちの霊が聖化されているという事です。しかし、成長によって私たちの魂や体が聖化されていくという、経験を通して聖化されるというものもあります。

 一般に考えられている聖化は、長年の敬虔的な努力によるクリスチャン生活から少しずつ聖化されていくというものです。そこには、新生による聖化の理解は含まれていません。新生は、私たちを神の義にするだけでなく、聖なる者とするのです。私たちの義も、私たちの聖化も、私たち自身から出たものではなく、キリストを信じた結果です。

 しかし、既に霊においては聖化されている私たちが、信仰の成長と共にそれを少しずつ外に現わして、経験によって魂が変わり、私たちの全体聖化されるという経験による聖化がもっと重要でしょう。御霊の実もそのようにして内側にあるものが、その人のアイデンティティーとして外に現れて来るのです。単に慈善をしたからといって、その人が御霊の実を証明した事には必ずしもなりません。同様に、新生による聖化だけではなく、思考の一新による聖化も成し遂げる必要があります。

 聖化とは、思考の一新を土台としているので、漠然と慈善をしてゼロから聖化を積み上げていくようなものではありません。むしろ、既に内にある聖化が、成長と共に自然と外に出てくるものです。ちょうど子供の成長と似ています。子供が普通の環境で育って行くなら、およそ一歳くらいから歩き始めます。それは、成長の過程で自然と現れて来るもの、既に備わった能力(本能)なのです。もちろん、私たちは成長という道に入る事を決断しなければなりません。

 経験による聖化は、時間が掛かり、その過程があります。注意するべき点は、良い行いによって聖化するという宗教的なものではありません。聖書の言う聖化とは、既に聖化された霊を思考の一新によって、魂と霊が一致し、その結果として、自然に良い行いができるようになる事です。

 1コリント 1:2 「コリントにある神の教会へ。すなわち、いたる所で私たちの主イエス・キリストの名を呼び求めている全ての人と共に、キリスト・イエスにあって聖なる者とされ、聖徒として召された方々へ。主はその全ての人の主であり、私たちの主です。」

 この箇所で出てくる「聖徒」も(hagios)から来ています。この単語は、「聖い」(hagios)霊(pneumatos)という形でよく出現します。つまり、聖いの形容詞が、ここでは人に用いられて「聖徒」となっているのです。

 このようにして、パウロは教会の信者を聖徒と呼んでいます。コリントの信者は「肉に属している」とパウロは言ったのですが、それでも彼らは聖徒なのです。従って、新生した信者は誰でも聖徒なのです。しかし、それは、彼らの霊的な立場から見るとそうであって、彼らの経験や成長から見ると、コリントの信者たちはまだ幼子であったのです。従って、人は新生の時点で聖化されたものの、それを経験しなければいけないのです。聖化とは、思考の一新と同様に、ある種の経験を積んで内なる聖化が外に現されて来る変化を指すのです。

 肉の努力による聖化の獲得は、単なる宗教です。それは、思考を変えずに、成長を目指す事と同じです。思考の一新がないまま、聖化される為に良い行いをするなら、失敗を繰り返すだけです。しかし、思考の一新をしながら良い行いをするなら、失敗が減っていきます。何故なら、人は考えが変わる時に、それに伴う行動をするからです。考えが肉の思いのままなら、外側の行動を変えても、内側の肉の思いが出てきてしまうのです。

 木の実が成るのは自身の努力ではありません。枝が実を結ぶのは、木につながっているからです。私たちが実を結ぶには、イエスという木につながり、イエスの教えに繋がる必要があります。すなわち、私たちはイエスの教えに留まり、思考をそれに一新させるのです。これが実を結ぶ秘訣です。