第一ヨハネ1:9 1

 第一ヨハネ 1:9「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちを全ての不義から清めて下さいます。 」

 この節で使われている動詞は「homologeō」から来ていて、同じ事を具体的に宣言する、同意する、認めるという意味を含みます。一般的には「告白する」という訳になっている為に、「犯した罪を告白する」という意味として誤解されています。しかし、この動詞は「罪について同じ事を宣言する、同意する、認める」という意味で捉えられるべきなのです。

 この語は KJVの新約聖書で24回出ていますが、ほぼ全て、イエスキリストを神と宣言する、同意する、認めるという内容、つまり、人がキリストを信じるかどうか、キリストの神性に関する内容です。

 マタイ 7:23「しかし、私はその時、彼らにはっきりと言います。『私はお前たちを全く知らない。不法を行う者たち、私から離れて行け。』」

 マタイ 10:32「ですから、誰でも人々の前で私を認めるなら、私も、天におられる私の父の前でその人を認めます。」

 ルカ 12:8「あなた方に言います。誰でも人々の前で私を認めるなら、人の子もまた、神の御使いたちの前でその人を認めます。」

 ヨハネ 1:20「ヨハネはためらう事なく告白し、「私はキリストではありません」と明言した。」

 ヨハネ 9:22「彼の両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れたからであった。既にユダヤ人たちは、イエスをキリストであると告白する者がいれば、会堂から追放すると決めていた。」

 ヨハネ 12:42「しかし、それにもかかわらず、議員たちの中にもイエスを信じた者が多くいた。ただ、会堂から追放されないように、パリサイ人たちを気にして、告白しなかった。」

 その他「homologeō」の動詞が使われている箇所には、使徒の働き 24:14、ローマ 10:9-10、テトス 1:16、第一ヨハネ(1:9、2:23、4:2、4:15)、第二ヨハネ 1:7 があります。

 第一ヨハネ 1:9 に出てくる「homologeō」を正確に表すなら ὁμολογῶμεν(homologomen)であって、homo「同じ」、logeō「言う」、omen「~するべきの動詞」から成り立っています。同じ言葉を宣言する、同意する、認めるというのが直訳です。「同じ言葉の宣言」という事から、既に知っている事を再び宣言するという意味で「同じ」なのです。従って、ここの「同じ」とは何を意味するかを考える必要があります。それは文脈によって異なりますので、個々のケースで何が「同じ」かを知るしかありません。

 この語が単純に「告白する」として訳された場合、第一ヨハネ 1:9 は「犯した罪を単に言う」ものとして誤解されがちです。「罪について具体的に同じ何かを宣言する」という直訳の意味が伝わらないのです。実際に、殆どの人がこの聖書の箇所を「罪の告白」の聖句として勘違いしています。

 次に注目すべき個所は、「赦し」と「清めて下さいます」の動詞です。これらの動詞はアオリストになっているので、いつ「赦されたか」とか「清められたか」という時制に関わる問題を論点にしません。ギリシャ語でアオリストの動詞が出てくると、それらの動詞はいつ行われたかは問題になりません。何故なら、アオリストの動詞は動作が単に事実・真実として行われる事を意味するからです。時間という枠を超えて、神は私たちの罪を赦すのであり、清めるのです。つまり、過去、現在、未来という時間を超えて神は私たちを赦す事ができ、清める事ができます。この理解はとても重要です。時間という枠を超えて御業を行う神の性質(普遍・永遠)を知る鍵になるからです。

第一ヨハネ 1:9 2に続きます。