御言葉から真理を得る  2

 「シングル」の目、つまり、私たちの目が真っすぐ素直に、純粋に神だけを見るなら、私たちの全身は明るくなります。世の光であるイエスを見る事によって、私たち自身も世の光になるのです。私たち自身に光があるのではありません。ちょうど、私たちの力や私たちの権威や名前によって神の子として働く事はないように、全ての権威と力、神の栄光の光、それらはイエスのものであり、またイエス自身なのです。 そしてイエスが真理である以上、私たちがイエスに目を向け、イエスの御言葉に心を向けるのは当然でしょう。そして、真理は私たちを自由にする力があります。御言葉を信じる事によって私たちはあらゆる束縛から解放されるのです。

 ところが、御言葉が信仰によって私たちを自由にするという神の素晴らしい計画を破壊してしまうものがあります。神の言葉は私たちに信仰を促す最も力のあるものですが、それを破壊する力は悪魔による嘘や世の知恵や知識です。せっかく御言葉を聞いても、世的な情報を聞いていては信仰の芽がでない事もあります。生まれながらの人間は肉の思考の為にそれらのものに影響されるからです。

 ルカ 8:14「茨の中に落ちたものとは、こういう人たちの事です。彼らは御言葉を聞いたのですが、時がたつにつれ、生活における思い煩いや、富や、快楽でふさがれて、実が熟すまでになりません。」

 せっかく聖書の御言葉を読んで学んでいても、その一方で世的な、悪い情報を取り入れているなら、信仰の実が熟さない可能性も十分あります。世的な情報を得る事自体は必ずしも悪くはないのですが、それに影響されて聖書の御言葉に反するような考えを持つようになるなら、そういったものは見たり聞いたりするべきではありません。信仰と癒しで有名なスミス・ウィグルスワースは新聞を全く読まない生活をする事で、自身の信仰を保つようにしたくらいです。

 さて、御言葉による成長に関しては、私たちが良い環境の下で聖書を読む事がとても大切になります。御言葉を集中して読む環境を確保するだけでなく、成長に必要のないものの排除も必須です。この作業がないと、私たちの思考は一新されず、私たちの成長は遅くなります。また、成長の過程で直面する様々な問題や悪霊からの攻撃に対しても、何をするべきかを知っておかなければなりません。敵に対する勝利は既に私たちのものですが、勝利を得るには戦いに勝つ事、悪魔に対抗する事が必須になります。その時に鍵になるのが、いかに信仰を保つかでしょう。そして、その方法も聖書からヒントを得る事ができます。次の聖句から、それを学べます。

 マタイ 11:2- 6「さて、牢獄でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、自分の弟子たちを通じてイエスにこう言い送った。『おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。』イエスは彼らに答えられた。『あなた方は行って、自分たちが見たり聞いたりしている事をヨハネに伝えなさい。目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちが清められ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。誰でも、私につまずかない者は幸いです。』」

 バプテスマのヨハネは、ヨルダン川でイエスを最初に見た時、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」と大胆に宣言しました。しかしここでは、イエスに対して「おいでになるはずの方は、あなたですか」と弟子たちを送って確認させたのです。つまり、バプテスマのヨハネでさえも疑ったという事です。

 獄中で自分の置かれている状況を見て、バプテスマのヨハネは神の子イエス・キリストの権威と力を疑ったのでしょう。救い主として信じている方が既に来られたのに、自分は獄中で死を迎えているという状況が、彼に疑いの思いを起こさせたのです。バプテスマのヨハネの問いに対して、イエスはイザヤ書から聖句を引用しました。それによって、彼を励ましたのです。イエスは彼に直接自分がキリストだと言って彼の信仰を支えませんでした。バプテスマのヨハネに同情して慰めの言葉をかけたのでもありません。何故でしょうか?それは、バプテスマのヨハネにとって何よりも慰めになったのは、御言葉だったからです。

 バプテスマのヨハネは生まれた時からその目的を知っていました。「主が来られる道を整える」事が自分の使命である事を知っていたのです。ですから、彼にとって御言葉を信じるというのはむしろ当たり前でした。つまり、イエスが彼に聖句を与えて答えられたのは、彼に御言葉を信じ続けなさいという励ましだったのです。

 考えてみて下さい。あなたは誰によって励まされると信じるようになるのでしょう?信頼している教会の牧師先生でしょうか?それともあなたの信頼する兄弟姉妹の言葉でしょうか?或いは、信仰良書からのアドバイスでしょうか?預言の言葉を求める人もいます。しかし、これらは全て間接的なものです。最も直接的にあなたの信仰を支えるのは、神の御言葉なのです

 どうしたらもっと信仰を持てるようになるのだろうかと考えているクリスチャンは、その答えが聖書にある事を意外に知りません。確かに読んでも分かりにくい所もあるでしょう。そうだからと言って、読まずにいては成長もありません。真剣に読むなら、真理を理解できるようになるというのは本当です。注ぎの油は私たちを全ての真理へと導く事ができるので、諦めずに、信じて聖書を読む習慣を身につけましょう。