霊的成長とは

 霊的成長とは、私たちの霊が成長する事ではありません。何故なら、クリスチャンの生まれ変わった霊は、既に新しく創造されていて完全だからです。「霊的成長」とは、私たちが肉的ではなく、より霊的になって歩む事を指します。

 クリスチャンの成長に欠かせないのが御言葉です。

マルコ 4:26-29「またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしている内に種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。実が熟すと、直ぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。」

 イエスは、「御言葉の種をまく」という表現を使って、それが私たちの心に植えられる事が神の国のようだと教えています。ちょうど、蒔かれた種がその実を直ぐに出す事がないように、御国の表れや御言葉の真理は、聞いた人が直ぐに理解して信じる事ができるわけではありません。

 真理の御言葉を聞いたり、読んだりするのが最初のステップです。しかし、その時はまだ私たちの頭の中にあり、それが心の中に植えつけられるまでには時間が掛かります。聞いた御言葉を何度も口ずさんで、思考の一新によって自分自身を変える必要があります。そして、この思考の一新はプロセスなので、時間が掛かり、忍耐を必要とします。何も変わっていないからと不安になるのではなく、御言葉の種が成長していると信じなければなりません。目に見える環境と現実に圧倒されて、聖書の御言葉を打ち消してしまうような、否定的な言葉を口に出してしまうと、その御言葉の種の成長が遅くなってしまいます。

 多くのクリスチャンは、人間的な努力によって自分の霊的成長に励んでいます。しかし、霊的成長に必要なのは神の言葉です。御言葉に力がある事を信じ、それを種として私たちの心に植える事が、霊的成長の秘訣なのです。

詩篇 1:2-3「主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び、その葉は枯れず、そのなす事は全て栄える。」

 常に御言葉を口ずさむ人は、流れのほとりに植えられた木と同じで、成長に欠かせない水をいつでも補給しています。もし、あなたが毎日御言葉を口ずさむなら、水を供給して下さる聖霊はあなたの成長を助けて下さいます。クリスチャンの成長に欠かせないのは、御言葉、成長を助けて下さる聖霊、良い地になっている私たちの心です。この神の法則に沿ってでなければ誰も成長する事はありません。

 私たちの唯一の努力は、心に中に植えた種を保ち続ける事です。そうすれば、必ず実を結ぶ時期が来ます。自然の作物は、そうやって種から始まり、それが成長し、そして実を結びます。霊的な成長も同じです。

 へブル 11:6「信仰がなければ、神に喜ばれる事はできません。神に近づく者は、神がおられる事と、神がご自分を求める者には報いて下さる方である事を、信じなければならないのです。」

 種を蒔いたからといって、それが成長するまでの時間を無視して、すぐに収穫を期待する人はいません。ところが、クリスチャンは祈っても聞かれないと、簡単に諦めてしまいます。御言葉を思い巡らしたり、口ずさんだりして、心の中に植えられた御言葉の種をしっかりと守る必要があります。これは思考の一新の事であり、これが霊的な成長に必要な事なのです。