私たちの中におられるキリスト

  コロサイ 1:27「この奥義が異邦人の間でどれほど栄光に富んだものであるか、神は聖徒たちに知らせたいと思われました。この奥義とは、あなた方の中におられるキリスト、栄光の望みの事です。」

 パウロが命をかけて宣べ伝えたかったのは、キリストについての奥義についてでした。それは、キリストが私たちの中におられるという事です。この事をただ知識として漠然と理解するのではなく、キリストが私たちの内におられるからこそ、私たちが圧倒的な勝利者として歩める事を体験する必要があります。この奥義を理解すると、次のような恩恵が期待できます。
  • 平安を保てる
  • 御言葉を信じる事ができる
  • 癒しや奇跡を体験できる
  • 不思議なしるしや霊的体験に振り回されなくなる
  • 御霊の導きが明らかになる
 平安がないのは不安になっているからです。しかし、あなたの中にキリストがおられるという事を本当に理解できるなら、どんな状況でも平安でいられる事が可能です。

 御言葉を信じる事ができるようになるのも、内におられるキリストを知る事によって大胆になれるからです。例え周りの状況は困難であったとしても、イエス様と共にいるという真理によって自分を励ますなら、御言葉の約束を固く信じる事ができるようになります。

 あなたの中におられるキリストを知れば、癒しを始めとするその他の奇跡や祝福が副産物として体験出来ます。これらは追いかけるのではなく、神の子供としての恩恵として私たちに与えられる祝福なのです。ですから、イエスがいつも一緒にいれば、諸々の霊的現象や霊的体験を追いかける必要がないと気づきます。むしろそれらは、イエスから目を離さなければ自然と体験できるものなのです。

 内におられるキリストをもっと知るようになれば、御霊の導きがよりはっきりと分かってきます。例えば、他の人に対してどのようにして助けたらよいか御霊が示して下さったり、聖書の真理についての理解を深める為に、色々な方法で教えて下さったり、時には何が起こるかを前もって示して下さる事もあります。

 私たちは私たちのうちにおられるキリストの重要さに気づいていません。多くのクリスチャンは、そこに意識を向けずに小さな霊的現象ばかりを追いかけています。キリストと共に歩むなら、様々な霊的な事柄(pneumatikOn)を体験する事になります。それらはイエスを証しする為のしるしとして、信者に伴うものなのです。

 さて、キリストが私たちの中におられるというこの奥義をよく理解する為に、とても重要な聖書の箇所があります。

  コロサイ 3:3「あなた方は既に死んでいて、あなた方の命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。」

 以前のあなた、イエスを信じる前のあなたは既に死んでいるのです。これを理解できれば、もはや古いあなたは存在せず、キリストがあなたの内に生きる事によって、新しいあなたが共に生きる事ができる、という事が分かってきます。これが新生であり、御霊によって歩むという意味なのです。古い人が生きていた時には肉にしか従う事ができませんでした。クリスチャンでも、自由意志がある為に、肉に従って歩む事は可能です。しかし、そうしてしまうと同じ罪を繰り返す事になり、クリスチャンとしての本来の勝利の生活を体験できなくなります。しかし、私たちクリスチャンには、御霊によって歩むという選択もあるのです。

 イエスの十字架の御業によって人間の罪は処理されました。イエスの十字架を信じる事によって、私たちは新しい霊として生まれ変わり、それゆえに、御霊の思いで歩む事が可能になっているのです。ただし、そうするには、心の一新によって私たちの考え方を変える必要があります。肉的な考え方からキリストの思考に変えるのです。

 肉の思考を変えるには御言葉が必要になります。何故なら、真理の言葉は私たちを肉の思いから自由にする力があるからです。もしあなたが、日常の細部に至る全てにおいて、御霊の思いによって考えて判断するように務めるなら、その習慣が身に付くにつれ、自然と御霊の思いによって歩めるようになるでしょう。最初の頃は、それを訓練として取り組み、習慣化していく必要があります。肉の思考で長く生活して来た人は、御言葉によって全てを判断する生活に対して、多くの葛藤を覚えるかもしれません。根気強く聖書の御言葉に従って歩む事が鍵です。

 詩篇 1:1-3「幸いな事よ。悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、嘲る者の座に着かない人。主の教えを喜びとし、昼も夜も、その教えを口ずさむ人。その人は、流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び、その葉は枯れず、そのなす事は全て栄える。」