神を制限する考え

 私たち人間には色々なものが制限されていますが、神には制限がありません。しかし一部のクリスチャンは、神の無限の力を過小評価しています。 それは、彼らの考えが肉的であるからです。

 私たちの考える事が、常に肉の思いであるなら、霊的な考えが一切なく、御言葉の真理に基づいていない事になります。そうすると、私たちは目に見える現実だけを見てしまい、人間的な解決方法ばかりに頼ってしまいます。真理はその一時的な現実を変える力があるのに、私たちが自分の力で解決しようとするのは、私たちの弱さなのです。未信者がそのような解決方法を選ぶ事は、仕方のない事かもしれません。しかし、クリスチャンであれば、主に頼る事は基本的な歩みとなっているべきなのです。

 詩編 37: 4「主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえて下さる。」

 主を私たちの喜びとして、人生の一番上に置く時、つまり、神の御国と神の義を第一に求める時に、私たちは御霊の思いによって明確に物事を考える事ができます。御霊の思いによって普段から考えていると、聖書的に正しい願いや夢を描くようになります。そうした思いは、肉の思いではなく、御霊の思いであり、神から来ています。そこには、利己的な動機がないので、純粋に主の計画を知る事もできるのです。究極的に私たちが知るべきものは、主にあって神の子となった私たちが、どのようにして御国の為に、ユニークな働きをしていくかという事でしょう。これこそが、この世で生きる希望であり、力なのです。


 人間的な考えによって、神の無限の力を制限するのは愚かな事です。それよりも、内にいるキリストを知って、聖霊の無限の力が私たちに宿っている事を知り「私を強くして下さる方によって、私はどんな事でもできる」と宣言しましょう。夢の到達には時間が掛かりますが、一歩ずつ踏み出していけば、必ずたどり着きます。